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連続テレビ小説「つばさ」ウィークリー・トーク
連続テレビ小説「つばさ」フレーム切手

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尚美総合芸術センターは、平成21年4月、本学の特色である美の価値創造に関する教育力・研究力を、産官の力と有機的に統合し、生涯学習支援、生涯学習環境づくりに資する調査研究に取り組み、その成果を尚美学園における教育、生涯学習支援、地域間文化交流、異文化交流に活用することで社会へ還元することを目的に、開設されました。

連続テレビ小説「つばさ」ウィークリー・トーク

テレビエッセー『やじろべえ』

執筆: 平原日出夫先生(元NHKチーフプロデューサー/元実践女子大学教授)

第2回
ドラマの嘘(うそ)と実(まこと)

●はじめに
この欄でこれから記すのは、ただ単純にドラマの良し悪しを論じる気持ちからではありません。NHKのテレビ小説は毎日のように放送され、実に多くの人々の視線が集まります。「つばさ」が描くドラマ世界が現代に生きる私たち、日本の家族とどんなつながりがあるかを考えるためです。ヒロインとその家族の生き方を、視聴者は自らのそれに重ねてみつめています。
この『やじろべえ』では、毎週初めに前週放送分の論評を掲載し、月末に4週分の『総評』をおこなう予定です。論評の形式はドラマ好きの三人が交わす自由討議で、A・Bの二人が意見を述べ合い、Cは座の中心で主に聞き役・まとめ役をつとめます。あの≪やじろべえ≫人形方式です。『総評』はいわば月間評で、Cが座頭(ざがしら)格(かく)として筆をとる予定です。今週はまず「つばさ」第1週放送分の自由討議です。

● 主人公家族について
A: 前号の「テレビエッセー」では、「つばさ」の主人公家族は「寺内貫太郎一家」(TBS/昭50)のパロディではないかと懸念してたね。
B: たしかに、十年間も家出して自由に生きてきた家付き娘の母加乃子と、頑固一徹の石工の親分貫太郎とは全く裏返しだね。商売も石屋と和菓子屋は正反対だ。
A:それに、菓子職人の夫竹雄は女房の尻に敷かれっぱなしだ。第一、貫太郎の娘静江は足が悪く、恋人は子連れの中年男だった。一方、つばさは母親代行の主婦役をはたし、健康で明るくのびのびした女子大生。すべてアベコベ。まさにパロディだよ。
B: いや、どうかな。形はそうでも、よくみるとパロディとは言い切れないよ。貫太郎には娘に傷を負わせた罪の意識があり、その目は過去を向いている。一方の加乃子は老舗「甘玉堂」から飛び出し、新しい仕事に挑戦し模索してきたと口にしている(第6回)。貫太郎は過去を向いているが、加乃子は未来を向いているのは確かだよ。前と後ろとではベクトルが全く違う。同じことは、ヒロインつばさと貫太郎の娘にも言える。すると、「つばさ」は「貫太郎一家」の単純なパロディとは言い難いね。
C: 同感だね。現代物がすべて古典のパロディだとすると、現代には傑作はないことになる。たとえパロディでも、模倣作の方が手本より上のこともある。要はいい作品であるかないかだね。

●「つばさ」はただのドタバタ劇か?
A: 「甘玉堂」の娘つばさは母不在の穴を埋(う)めようと、必死に家事を引き受けている。今時の娘としては健気(けなげ)だね。テレビドラマは家庭教育のいい材料になる。
第1週は主婦代行のつばさと戻ってきた母加乃子とのドタバタを軸(じく)に、加乃子×祖母千代との葛藤、それに幼馴染(おさななじ)み翔太をめぐるつばさ×親友万理の初恋戦争、それに父竹雄の見合い話が織りこまれてる。ずいぶん盛り沢山な人間関係だね。
B: まだあるよ。斉藤興業社長(通称ヒロリン)と加乃子との関係が。1000万をポンと貸すぐらいだから相当な仲だね。どんな関係かは曖昧(あいまい)だが、思わせぶりなのは関心しないな。
A: その背景に川越祭のきらびやかな山車(だし)を置いて、ドラマをうまく進行させているね。
B: その反面、数年ぶりに故郷に戻ってきた母加乃子の登場の仕方は、どうも腑(ふ)に落ちない。従業員でもすぐ気づくハズだもの。いくらドタバタでも、当事者たちの心の機微を無にしてはね。Cさんは、このドタバタ劇をどう見ますか?
C: たしかに、第1週は一見ドタバタ劇だね。だけど、その下地には今の地方市町村が共通に抱える深刻な問題が透(す)けてみえるようだね。≪シャッター商店街≫という現実がね。「つばさ」はただのドタバタではなさそうだね。
B: 祖母千代が抱える7000万円もの借金は、シャッター商店へ直結する落とし穴だね。それは今の日本の社会の危なさでもあるね。地方産業のさびれは農山村の後継者不足と老齢化、離農・里の崩壊とふかく連動している問題で、そこら辺まで描くと期待できるが。
C: これは私事だけど、私の家内の里も同じ埼玉県でね。県北東部を縦断する日光街道沿いの町々にはこの数年《シャッター商店》がめっきり増えている。町場もスーパーなどの流通革命と老齢化の波でさびれが目立ってきている。母加乃子はそんな日本の現実に向かって家を飛び出し、新しい仕事に挑(いど)み、撥(は)ね返されて戻ってきたことが、第1週で視聴者側に伝わったね。
A: 第2回で加乃子は空腹と疲れで倒れましたね。
B: この十年間に、加乃子はいくつも会社を立ち上げ、いろんな試みをし、挑戦(ちょうせん)してきたと思わず口走る。すべて失敗し、300万円の借金に追われて戻ったわけだが、彼女は決してそれを顔には出さない。彼女のド派手な明るいふる舞いは、実は彼女の心の叫びの表れとみることができそうだ。
C: いいこと言うね。私も全く同感。日本の女の新しいタイプかもしれない。

● ドタバタ劇の彼方にあるもの
A: このドタバタ劇から、加乃子・つばさの母娘(おやこ)コンビは、今後の動き方次第(しだい)では、巾広い視聴者の共感をかちとるかもしれない。ヒロインつばさは母の体験・苦闘を引き継ぎ、それを若い感性と知性でエネルギーに換(か)え、大空へ飛び立ってほしいな。
B: 問題はこのドタバタをテレビ小説の視聴層がどう受け取るかだね。今のところはドタバタの必死ぶりは感じられても、理解されるには少し時間がかかるかもね。
A: ドンチャン騒ぎのようだったけど、どこかホロっとするところもあったね。
C: 笑いながら厳粛のことを語る、とはたしか太宰治の言葉だけど、マジメなことはまともな顔では言えないもの。加乃子のドタバタはシリアスの逆説かもね。

● 茶の間の演技について
茶の間の人物たちが画面の中に収(おさ)まろう、収まろうとしてみえる。全体の構図の中で人物が小じんまりと見えるのは気のせいかな。それは俳優陣の演技によるのか、それともカメラ技術の問題なのかね。カメラの腰が引けて見えてならない。第6回放送を見てとくにそう感じたよ。茶の間のグループショット全体で、人物が小さく見えて仕方ない。
B: ぼくも同感。それは舞台劇風に撮ろうとしているからかな。だとすると、見る側の目とソリが合わなくなる。茶の間のシーンこそ家族が一番熱くイキイキする場所。レンズの対象が動いてフレームからハミ出たっていい。引きショットでは熱い表情は逃げてしまう。
A: すると、これもやはり演出の問題ということかな。
B: 現場の棟梁は演出だからね。加乃子・祖母の母子の争う場面でも、もっとハミ出てもよかった。「貫太郎一家」にはそのハミ出しに元気があった。
C: 「貫太郎一家」の作者・演技者たちは熱かったし、爆発力があった。昭和40年代のホームドラマ戦国時代を生き抜いたエネルギーだね。時代に活力が失われた今日では、ドタバタ劇が一番難しいといえる。それに挑戦するのは、それ自体が冒険だし、評価したいと思うね。近年のテレビ小説では大きな賭けだし、滑(すべ)りだしも上々といえる。 (2009.4.4)


● 主な論点
(1)「甘玉堂」の家族構成と家族それぞれの役割を整理。
(2)玉木家の3人の女の性格・役割を整理する。(主婦代行の娘つばさ/元主婦の母親加乃子/祖母千代)
(3)老舗「甘玉堂」と≪シャッター商店≫問題
(4)巨大都市東京とその衛星都市川越

●討論のためのテーマ・論点
「テレビ小説『つばさ』にみる地域社会と現代家族」
大家族と核家族
商店経営と≪シャッター商店≫
今日の隣人問題・友人・仲間


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